オリカ産業株式会社 > 会社概要トップ > 沿革

明治 1879 初代、加納嘉吉が父・加納嘉七、母・カメの2男1女の 次男として大阪市北区空心町で生を受ける。

大正天皇ご誕生。
1902 日英同盟。
1904 日露戦争が始まる(〜1905)。
大阪市の人口102万人。
1905 ポーツマス条約。
1907 大阪市北区壷屋町(現北区天満3丁目あたり)で 折箱製造業「折嘉商店」を創業。
大阪三郷天満組の天満6丁目および壷屋町が壷屋町1丁目 となった。
三越百貨店大阪支店開業。
1909 加納嘉吉は北区松ヶ枝町の野澤つると結婚 天王寺動物園開園。
1910 後の2代目、加納一雄誕生。 韓国を併合する。
箕面有馬鉄道(現阪急電車)、梅田=宝塚、石橋=箕面開業。
京阪電車、天満橋=京都五条開業。
1912 明治天皇が亡くなり、大正天皇が即位。
大正

1914 第一次世界大戦が起こり、日本も参戦する。
このころ世界大戦の影響で好景気になる。
1916 店舗を国鉄、阪急、阪神電車のターミナルに近い
大阪市北区小松原町(現、阪急東通商店街、
加納食品(株)所在地)に移転。
ベルリン五輪、第一次世界大戦で中止。
1918 富山に米騒動が起こる。
1923 関東大震災が発生する。
1925 治安維持法が定められる。ラジオ放送が始まる。
1926 大正天皇が亡くなり、昭和天皇が即位。
昭和

1929 アメリカの不景気が世界に広がり、世界恐慌が始まる。
梅田にターミナルデパート阪急百貨店開業。
1931 満州事変が起こる。
1932 五・一五事件が起こる。
1933 地下鉄(梅田=心斎橋間)開通。
1936 二・二六事件が起こる。
1937 盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が起こる。
1939 第二次世界大戦が始まる。
1940 後の3代目、
加納嘉和誕生
日独伊三国軍事同盟が結ばれる。
1941 真珠湾攻撃。太平洋戦争が始まる(〜1945)。
1944 アメリカのB29による本土爆撃が激化する。
集団疎開が始まる。
1945 大阪大空襲で店舗が全焼、周囲も灰燼に帰す。 ポツダム宣言を受け入れ、連合国に無条件降伏する。
アメリカ軍の沖縄への上陸。
広島・長崎に原子爆弾が落とされる。
1950 これまでの個人経営から「株式会社折嘉商店」として 法人成りし、加納一雄が代表取締役に就任。 日本国憲法が公布される。朝鮮戦争が起こる。
1951 大阪市北区太融寺41番に移転。
小松原町の工場、店舗はお好み焼き「つる家」として営業。
代表者加納ハツエ。
民間ラジオ放送始まる。
1957 創業50周年。 主婦の店ダイエー一号店、京阪千林駅前に開店。
1963 加納嘉和が関西学院大学商学部を卒業して入社。 名神高速道路、栗東=尼崎開通。
1964 加納嘉吉が84歳の天寿を全うし亡くなる。 東海道新幹線が開通する。
東京オリンピックが開催される。
1966 本社を北区神山町79番地に移転。
工場スペースも 約3倍になる。
ビートルズが来日。
1969 当時の代表取締役加納一雄が脳溢血で急死。
加納嘉和が代表取締役に就任。
米、人類初の月面着陸に成功。
1970 日本万国博覧会が開催される。
1972 沖縄諸島が日本に復帰する。
日中国交回復。
1973 C.I実施、社名をオリカ産業株式会社に変更。 第一次オイルショック。
1974 資本金400万円。 ルパング島で
小野田寛郎元少尉発見。
1975 従来の木造2階一部3階建ての本社を鉄骨5階建に全面改築。
池田市空港1丁目に空港倉庫建築。
西成区出城通に西成工場開設。
資本金1000万円に増資。
ベトナム戦争終結。
1978 印刷紙器への本格的な取り組みを始める。 第二次オイルショック。
1983 企業性格診断実施。社員数は35名。 東京ディズニーランド開園。
1984 永年勤続社員を出資者として有限会社オリカクリエイトを設立。
製造部門と物流部門を北区豊崎6丁目に新築の工場流通センターに移転。販売管理のため東京電気製コンピュータを導入。
グリコ・森永事件発生。
1985 プラザ合意。
阪神タイガース21年ぶりに優勝。
1987 前半期と後半期に年2回の経営方針発表会を実施。 関西国際空港着工。
1989 日経平均株価38915円の最高値を記録。
バブル景気絶頂期。
平成

1990 これまで当社の事業領域が比較的大阪府北部に偏っていたのを 顧客の地域を「大阪府全域」へと移行するため、関西国際空港の 開港を控えた堺市向陵西町に堺営業所開設。
黒田武が所長に就任。
大阪で国際花と緑の博覧会開催。
ベルリンの壁崩壊。
冷戦体制の終結。
1991 社員の経営参画意識の高揚と利益配分への参加を図るため、 5年以上勤続社員を対象に社員持株会発足。 湾岸戦争勃発。
1994 本社を新築移転することに伴い、自己資金の充実を図り資本金を5千万円に増資。 関西国際空港開港。
1995 現専務取締役加納貴司が、5年間お世話になっていた旭洋パッケージングシステム株式会社
(現、旭洋紙パルプ株式会社)から当社に入社。
北区豊崎4丁目に現、本社完成。
阪神大震災。地下鉄サリン事件。
1997 創業90周年。ISO9002・94年版キックオフ、社員数は87名。 神戸連続児童殺傷事件。
1998 株式会社京樽様の埼玉県エリアをフォローするため、関東営業所を埼玉県川口市差間に開設。清水泰光が所長に就任。 明石海峡大橋開通。
1999 関東営業所を倉庫スペースの大きい埼玉県蕨市錦町に移転。
人材の適材適所を目指して「組織分析」実施、社員数は90名。
財団法人日本品質保証機構(JQA)よりISO9002認証取得。
日本銀行、ゼロ金利政策実施。
2000 会社設立50周年。 雪印集団食中毒事件発覚。
2001 有限会社オリカエステイト設立。加納貴司が代表取締役に就任。 ユニバーサルスタジオジャパン、大阪に開業。
2002 豊崎倉庫として使用開始。
北区豊崎6丁目の豊崎工場の隣接地に敷地面積1133を取得。
株式会社サイエスの中島正昭先生などの指導を得て、戦略経営プロジェクトチームのキックオフ。
住民基本台帳ネットワーク開始。
2003 JQAに「格上げ」「定期」「移行」の審査を受けISO9001・2000年版を取得。 阪神タイガース18年ぶりセ・リーグ優勝。
2006 本社の隣接地約150を取得。 世界人口65億人突破。
2007 創業100周年。会社設立58周年。社員数は103名。 参議院選挙自民党大敗で安部晋三首相辞任。福田康夫内閣総理大臣に就任。